2019/1/4

金原ひとみマザーズ」を読み終える。全編を通して、女性3人の心理描写が一人称で事細かに書かれているが、どうも嘘っぽく感じた。本当らしくない、といったほうが正確かもしれない。例えば、ラディゲ「肉体の悪魔」の解像度の高さとの違いは何なのだろう?

 

渋谷で友人のMっちゃんと半年ぶりに会う。上海勤務の彼は今年こそ脱サラしてアメリカへ語学留学すると語っていた。中国語がペラペラな彼なら、全然できそうな気がする。ぼくも頑張ろうと思った。

イメージフォーラムジャン・ヴィゴの『ニースについて』『水泳選手ジャン・タリス』『新学期・操行ゼロ』。感想は『アタラント号』を見てから書くことにする。

2019/1/2

シネマヴェーラエイブラハム・ポロンスキー『悪の力 Force of Evil』とロバート・ワイズ『罠 The Set-Up』を見る。

『悪の力』は蓮實先生オススメのうちの1本であるが、登場人物の行動原理や街の位置関係がつかめず、置いてきぼりにされた。俯瞰や仰角ショットが多用されており、変な映画だとも思った。また見直したい。

一方で『罠』は非常に楽しんで見た。4ラウンドにわたるボクシングシーンは圧巻で、実際、主演のロバート・ライアンは元ボクサーだったとのこと。
また、シネマヴェーラの作品解説によれば"映画内時間が上映時間と一致している作品としても有名"とあるように、ボクシング場外の時計やホテルの部屋にある時計などが時折、写される。仮に正確に上映時間と一致しているのだとしたら、どのように撮影を進めたのだろうか。スクリプターが正確に撮影時間を計測したとしても編集でどうなるかわからないし、俳優やスタッフたちにも秒単位の正確な仕事が求められたのだろうか。あるいは時計のカットだけは数パターン撮っておき、編集の段階で選択があったのか。そういう点では映画の外側を考えさせる映画であったが、時間を扱っていながら時間に関して無頓着であるとも思った。例えばベタだが、何かタイムリミットのようなものを導入することで映画をより活気づけることができたのではないだろうか。
妻役のオードリー・トッターが橋の上から観戦チケットを破り捨てるところは忘れがたいが(成瀬巳喜男『めし』原節子を想起させる)、彼女がほとんど機能していないフィルムであるとも思った。ボクシング場の例の席に彼女がいてもいなくても、主人公はただひたすら勝ちを目指しただけだっただろう。

2019/1/1

あけましておめでとうございます。今年は無用な酒を控え、インプット/アウトプット共に充実した一年にし、毎日日記を書き続けたいです。以下、2018年の観客としての成果です。心を揺さぶられた作品・体験を遭遇順に列挙します。

 

イエジー・スコリモフスキ『早春』

諏訪敦彦ライオンは今夜死ぬ

丸山昇平『赤ちゃんにさわらせて』

ジュリア・デュクルノーRAW〜少女のめざめ〜

グリーンランド中谷芙二子+宇吉郎展(銀座メゾンエルメス

クリント・イーストウッド15時17分、パリ行き

ガス・ヴァン・サント "Don't Worry, He Won't Get Far on Foot"

ルイス・ブニュエル『忘れられた人々』

ビルバオグッゲンハイム美術館

濱口竜介寝ても覚めても

レオノール・セライユ若い女

ホン・サンス『草の葉』

ホン・サンスクレアのカメラ

濱口竜介によるクリント・イーストウッドミスティック・リバー』レクチャー(連続討議「現代アメリカ映画への政治的視角」@早稲田大学

ジュスティーヌ・トリエ『ソルフェリーノの戦い』

イヴ・ジネスト&ロゼット・マレスコッティ『「ユマニチュード」という革命』